2018年5月22日火曜日

慰めの主 聖霊

 

新緑も色濃く収まり、梅雨の走りを思わせる天気が続くようになって来ました。
 
教会の暦は聖霊降臨祭(ペンテコステ)を迎えました。聖霊の降臨によってペトロを中心とした弟子たちの宣教が始まりました。ここから、ペンテコステは「教会の誕生日」と言われるのです。
 
聖霊のことをマルティン・ルターは「慰め主」と呼びました。宗教改革を推し進める際の苦悩のときに、病気に苦しめられたときに、子どもを亡くしたときもルター自身が聖霊の慰めを体験したからです。聖書の言葉が彼を慰めたのですが、その言葉にはいつも聖霊が伴っているとルターは信じたのです。
 
そのルターは、自分自身が慰められることだけに終わりませんでした。彼自身が人々を慰めるために力を注いだのです。ルターの書いた膨大な量の「慰めの手紙」はそれを示しています。
 
慰め主なる聖霊は、今日も聖書の言葉を通して私たちに注がれています。教会の礼拝では聖書が読まれ、説教が必ずありますが、そこにはいつも聖霊が伴っているのです。だからまず自分自身が慰めをいただくことができるのです。ただ、そこで終わることなく、今度は自分自身が隣人に慰めの言葉を語る者になりたいと願うのです。
 
お近くの教会の礼拝へどうぞお越しください。慰めの言葉と出会うことができることでしょう。

2018.5
日本福音ルーテル教会

2018年4月2日月曜日

新しい生命の誕生を覚える時

  
                    撮影/Kazue Taniguchi

 例年にまして早い春の到来を感じる時となりました。桜の花びらが役目を終えて散り終えた後に、まるで新しい生命が誕生するかのように新緑の葉が頭をもたげています。自然界の生命の躍動を感じる時、教会の暦はイースターを迎えました。イエス・キリストの死からのよみがえりを祝い、覚える時です。

 キリストの復活は2000年ほど前に起こったできごとですが、大切なことは、その復活の知らせが、自分とどんな関係があるのかということです。しかも自分が死んだ後に天国に行ってよみがえるということではなく、今の日々の生活とどんな関係があるのかということです。つまり、私たちの今の生き方に対して、聖書は問いかけるのです。

 自分の生き方を問い、幸いな生き方を見つけるのです。なかなか自分一人でできることではありません。「わたしは道であり、真理であり、命である」とイエスは言われました。真理と命に至る道を見つけ、その道を歩むために、教会の礼拝、またキリスト者との語らいはきっと大きな助けになることでしょう。

 お近くの教会の礼拝へどうぞお越しください。

 2018年4月
 日本福音ルーテル教会
 総会議長 立山忠浩

2018年2月16日金曜日

十字架、それは過去のことではなく



 教会の暦は2月14日(灰の水曜日)から四旬節に入りました。イエス・キリストの尊い十字架のできごとを覚える大切な40日間を過ごします。

 イエスの十字架は2000年前に起こった出来事ですから、過去のことと言えないことはありません。しかし十字架という出来事はいつの時代にも、どんな人にも起こっていると言わなければなりません。なぜなら、十字架とは重荷や苦難という意味も持っているからです。

 だれでも、他の人とは異なる自分自身の十字架というものを背負っているはずです。この世に生きている限り、放り出すことのできないものです。その自分だけの十字架を見つめることは辛さを伴うものですが、しかしもっと私たちが見つめなければならない十字架があるのです。それは、私たちのそれぞれの十字架を一緒に背負ってくださっているイエス・キリストの存在です。まるで2000年前のできごとのように、いまも私たちひとり一人の十字架を一緒に担ってくださっているのです。

 この十字架を見出す人には、限りない慰めと励ましが与えられるに違いありません。いやそれだけでなく、希望と喜びがもたらされるのです。なぜなら、十字架をしのぶ四旬節の後には、イエス・キリストの復活、すなわち絶望や悲しみに対する勝利が訪れるからです。

 それぞれの教会の礼拝へどうぞお越しください。

2018.2 
日本福音ルーテル教会
総会議長 立山忠浩

2018年1月6日土曜日

新しい思いに満たされるために

 


 新年を迎えました。新しい思いに満たされる時です。
 
 聖書に「古い人を脱ぎ捨て、新しい人を身に着ける」(エフェソの信徒への手紙4章22節以下)という言葉があります。「新しい人を身に着ける」とは不可解な言い回しですが、新しい思いにされることです。新年に相応しい言葉です。

 ただ、新しい思いに満たされるためには「古い人を脱ぎ捨て」なければなりません。新鮮な息を吸い込むためには、まず肺の息を吐き出すはずです。古い息を吐き出すことで、新しい空気を吸い込むことができるのと同じです。

 では「古い人」とはどんな人のことでしょうか。どうしても過ちや失敗をしてしまう人、あるいは悲しみや弱さ、傷を背負って来た人のことです。それはすべての人のことだと言わなければなりません。どんな人も昨年までの歩みの中で、それらの何らかのものを身に着けて過ごしたはずです。それを吐き出すのです。それを脱ぎ捨てるのです。その古いものはきっと主イエス・キリストが引き取り、すべてご自身が背負ってくださるのです。そして代わりに、生命を育む新しい息を与えてくださることでしょう。
 
 古いもの脱ぎ捨て、新しいものを着る。古い息を吐き出し、新鮮な思いに満たされる、そのような新しい一年でありますよう、お祈りいたします。

2018年1月
日本福音ルーテル教会
総会議長 立山忠浩

2017年12月25日月曜日

クリスマス、おめでとうございます!

  

 神の子イエス・キリストの誕生日、クリスマスを迎えました。まことに喜ばしく、恵み深いことです。

 聖書には、イエスという名前はインマスエル、すなわち「神は我々と共にいます」という意味だと記されています。「私」だけでなく、「我々」というわけですから、まさにみんなと共に、年齢や性別、国や民族という隔てを超えて、すべての人と共に神様がいてくださるという知らせです。

 ある人は、「それはキリスト教の神様であって、キリスト教徒の皆さんだけにその神様はいるんでしょう。私には関係ないことですから」と言うかも知れません。
 しかしそうではないのです。どんな人も空気を吸い込み、息をしながら生きているのと同じように、すべての人が、神様が与えてくださる「命の息」をいただきながら生きていると聖書は教えているのです。

 神の子イエス・キリストは、この「命の息」(つまり聖なる霊)によって生きる姿をこの世に表してくださったのです。この方の生き方は「人としての生き方」、つまり私たちが歩むべき「人生」を指し示しているのです。なんと恵み深いことでしょう。

 クリスマスの喜びが皆さまの上に豊かに注がれますように、そして、新しい年の上にも、神様のお恵みが限りなくありますようにお祈りいたします。

 2017.12
 日本福音ルーテル教会
 総会議長 立山忠浩
 

2017年12月4日月曜日

アドベント、足を止める時



教会の暦はアドベント(待降節)に入りました。教会にはアドベントリース(クランツ)が飾られ、4本のろうそくが立てられていることでしょう。1週間ごとに1本ずつ火を灯して行くことになります。そして4週目にクリスマスを迎えることになるのです。

 教会学校のある生徒が、「いっぺんにろうそくに火がついて、クリスマスが来ればいいのに」と言いました。クリスマスプレゼントをもらえる日が待ち遠しいのでしょう。微笑ましい言葉でしたが、アドベントという言葉は「だんだんと、少しずつ近づく」という意味を持っています。クリスマスまで時間をかけるのです。

 ただ、アドベントの期間を漫然と待つのではありません。クリスマスのことを聖書がどのように記しているのかを学び、そのことを思い巡らすのです。
 聖書を読んだことのない人にとっては、良い機会です。本当のクリスマスとはどんな出来事であったのかを知る機会となることでしょう。
 教会のクリスマスを幾度も体験している人にとっても、クリスマスの話をもう一度じっくりと読むことは意義深いことです。
 聖書は読むたびごとに、新しい気づきや発見をするものだからです。そのような恵み深い体験は、聖書のクリスマスの物語にしばし足を止め、時間をかけて思い巡らすことなしは起こらないのです。

 教会の礼拝はそのようなことのために開かれています。どうぞお越しください。相応しいアドベントを送り、恵みに満ちたクリスマスを皆さんとご一緒にお迎えできることを願っています。

2017.12
日本福音ルーテル教会総会議長
立山忠浩

2017年9月5日火曜日

いよいよ宗教改革500年の季節

Martin Luther © Daniel W. Erlander (www.danielerlander.com)


 季節はすでに秋に向かい始めています。北の国からの紅葉の便りも届くようになりました。

 私たちの日本福音ルーテル教会は、これから本格的に宗教改革500年を記念する季節に入ることになります。礼拝や諸行事が目白押しです。
 それぞれの教区ごとに開催される礼拝、他のルーテル教会や諸学校との共催による行事、そして全体教会とカトリック教会の共同で行われる記念の礼拝などです。それぞれの企画にご参加くだされば幸いです。

 500年に一度のこと。きっとこの時に遭遇した大きな意味を、500年事業が過ぎた後に実感するに違いありません。そのためにも、その歴史的なときに開催される諸行事に参加し、そこに立ち会い、そこ身を置くことが大切だと思います。讃美と祈りが満ち、宗教改革者たちが発見した聖書の福音に共に耳を傾ける機会を味わうのです。そして隣人たちに福音を伝える喜びを体験したいのです。

 「ルーテル」という名のもとにつながっている各教会、学校と施設、幼稚園・保育園でも、それぞれに500年を覚えた礼拝と行事が催されることでしょう。

 どうなたでもすべてのところに招かれています。
どうぞお出かけください。ご一緒に神様の祝福に与ってまいりましょう。

2017年9月
日本福音ルーテル教会
総会議長 立山忠浩

2017年8月2日水曜日

日本の8月を覚えて


 暑い時を過ごしていますが、夏至はとうに過ぎ、暦は確実に秋に向かっています。あまりの暑さが続くと、太陽の輝きをうらめしくも感じることがありますが、しかし自然界の生き物、植物にとっては、夏の太陽の輝きがあってこそ成長があることは言うまでもありません。

 旧約聖書(ヨナ書)にこういう話があります。暑い陽射しを避けて木陰で涼んでいた男が、その木(とうごまの木)が突然枯れてしまったことで脱水症状のようになってしまい、木が枯れてしまったことを大変惜しみ、このできごとを大変怒ってしまうのです。ところがその男は、ある町に暮らしている人たちが滅んでしまうことは惜しむことがなかったというのです。

 8月を迎え、陽射しの強いこの真夏の時期に覚えることは、過去の戦争や原子爆弾のことです。多くの人の命が滅ぼされてしまったのです。そして今もなお、この暑さの中で生きることが脅かされている人たちがたくさんいることを覚えるのです。

 いつの時代もひとりの命の価値には格差があり、多くの人に惜しまれる死とそうでない滅びがあるように思います。しかし神様はそうではないのです。どんな人の滅びも神様は悲しみ、それを何とかして避けようとして、ある人々を遣わされようとされるのです。

 暑い夏、暑い陽射しの下で、一人ひとりが平和の使者としての働きが期待されているのです。過去の歴史を振り返ること、戦争の悲惨さを忘れないこと、平和のために祈りを献げ、平和を作り出すために自分にできることを探し、少しでも実行すること。どんな小さなことであっても、神様のみ心に従う者でありたいと思うのです。
 
 2017年8月
 日本福音ルーテル教会
 総会議長 立山忠浩
 

2017年6月4日日曜日

聖霊がみ言葉を通して

 
聖霊降臨日を経て、教会は新しい暦に入りました。
 聖霊が弟子たちに降りて来て、そこから教会の宣教が始まったのです。このことをいつも覚える時となりました。

 聖霊は見えないものですが、しかしなくてはならないものです。「空気」とも訳される言葉ですが、空気なしには人はひと時も生きることが出来ないのと同じです。空気は見えないものですから、私たちは特別に意識することなく暮らしているに過ぎないのです。

 聖霊も同じです。
その聖霊は、神様のみ言葉を通して語られて来るとマルティン・ルターは教えました。聖書の言葉を通して、そして礼拝ごとに語られる聖書の解き明かし、つまり説教を通して聖霊が私たちに注がれるのです。

 新鮮な空気が私たちを生かし、疲れを癒し、新たな力を与えてくれるのと同じように、実は私たちのだれもが、聖霊の働きを通して新たに生かされる存在であることをイエス・キリストは教えてくださったのです。その聖霊はみ言葉を伴うのです。
 
 どうぞ近くの教会をお訪ねください。礼拝で語られるみ言葉に共に与りましょう。

2017.6
日本福音ルーテル教会
総会議長 立山忠浩

2017年4月17日月曜日

新しい生き方へ



イエス・キリストの十字架を覚えるときから、死からの甦りを覚える暦に変わりました。イースター(復活祭)を迎えたのです。季節も春となり、新しい命の息吹を感じるときですが、教会も新しい命へと主イエスが復活されたことを覚えるのです。

 日本の国では、クリスマスをお祝いする習慣はあっても、イースターはほとんど話題になることはありませんでしたが、しかし最近はイースターチョコなど、店頭にイースターに因んだ商品がたくさん並べられるようになりました。喜ばしいことだと思います。

 でも、大事なことはその祝うことの中味です。
 イースターとは主イエス・キリストの復活を祝うのです。死んだ人が甦るなんて、そんな馬鹿なことがあろうかといぶかしがる人が多いことでしょう。確かにあり得ないことです。でも聖書を通して知ることがあります。十字架を前にして怖くなって、イエスから逃げ去った弟子たちが、復活を境にして生き方が大きく変わり、死を怖れず、生涯イエスを伝える者になったことです。あり得ないことが起こったのです。

 復活には、きっと人の生き方を変える力があるのです。復活を信ずる者は、それはほんの少しであったとしても、これまでの自分の生き方から、新しい自分の生き方へと変えられるのです。

 教会では、復活を祝うときがしばらく続きます。
 どうぞ近くの教会へお越しください。

 2017.4
 日本福音ルーテル教会
 総会議長 立山忠浩

2017年3月1日水曜日

40日という日々を大切に



教会の暦は3月1日から四旬節に入りました。4月16日のイースター(復活祭)まで、日曜日を除く40日間をイエス・キリストの十字架を偲ぶときを過ごします。
 
「なぜ40日間も」と疑問が湧くことでしょうでしょう。それは聖書のできごとに由来するのです。旧約聖書のモーセが神様から十戒をいただいたとき、彼は40日もの間一人で山にいたのです。イエス・キリストが悪魔の誘惑にさらされ、試練を体験されたのも40日間でした。
 
この二つのできごとに共通していることは、一人で40日間を過ごしたということです。これほど孤独なことはなかったことでしょう。でもその孤独の中で、モーセもイエス・キリストも、いつも傍らにいてくださる主なる神様の存在を実感したのです。
 
ご一緒に十字架を偲ぶ40日間を過ごしましょう。
日々の生活を振り返り、様々な過ちや失敗したことがあれば神様に赦しを請いましょう。
そして私たちの過ちはイエス様の十字架によって赦されることを感謝しましょう。

自分では負いきれないほどの重荷を一人で担っている人は、その重荷を傍らで一緒に担ってくださっている方がいることを覚えたいものです。

 
さらに言えば、教会では自分自身の重荷(十字架)のためだけでなく、隣人の重荷のためにも祈りが献げられていることを覚えていただければ幸いです。

2017.3.1
日本福音ルーテル教会総会議長
立山忠浩
 

2017年1月17日火曜日

神様の恵みと出会うために



 季節は真冬。一年で一番寒い時となりました。しかし日の入りが少しずつ遅くなり、日中の太陽の位置も高くなり始めているように感じられます。私の牧する教会の庭では水仙が咲き始めました。春の便りがもうしばらくすると南の方から聞こえて来ることでしょう。

 教会の暦は顕現節となりました。神の子イエス・キリストを通しての神様の恵み深い御計らいが、今の私たちにも様々な形を通して顕されていることを覚える時です。自然界の営みもそのひとつでしょう。しかしもっとも明瞭に、大胆に顕わされているのが聖書であると私たちは考えます。

 教会の礼拝や聖書を学ぶ会では、その聖書のことが語られています。どうぞ、お近くの教会の礼拝や諸集会にお出かけください。ご一緒に、神様の恵み深い御計らいに出会うことができれば幸いです。

 2017.16
 日本福音ルーテル教会
 総会議長 立山忠浩
 

2017年1月5日木曜日

明けまして おめでとうございます。

 
新年を迎えました。
また思いを新たにして、新しい歩みを始めたいものです。

今年は酉年。
鳥には、それぞれに様々なイメージがあることでしょう。
聖書にもしばしば鳥が出て来ます。
そのひとつが旧約聖書の「ノアの箱舟」です。

地上の悪が洪水によって洗われ、一面が水で覆われた後、ようやく水が引き始めたのですが、住める土地があることをノアに知らせたのが鳩でした。
箱舟から放たれた鳩は、戻って来た時にはオリーブの葉をくわえていたのです。洪水の後の静けさと取り戻された平和を伝える働きをその鳩はしたのです。

鳩は新約聖書では聖霊に譬えられることがあります。聖霊は「神の言葉」をもたらす働きをするのです。
その神の言葉、イエス・キリストの教えが、きっと今年も私たちを慰め、励まし、希望を与え、そして本当の平和をもたらしてくれるに違いありません。
 
今年はいよいよ宗教改革500年の年です。
ルターを中心とした宗教改革者たちの思いは、いつもこの「神の言葉」、つまり聖書の言葉に向けられていたのです。
ご一緒に、この記念の年を力強く歩みたいものです。
どうぞ、お近くの教会の礼拝や諸集会にお出かけください。

最後になりましたが、皆さまの新しい一年の歩みの上に、神様のお守りとお導きをお祈りいたします。

日本福音ルーテル教会
総会議長 立山忠浩
2017.1 
 

2016年12月27日火曜日

クリスマス、それは始まりのとき


 クリスマスを迎えました。
 神の子、イエス・キリストのご誕生を共に祝い、その喜びと感謝を刻むときとしたいと思います。

 この時期は、日本ではすでにお正月の準備に入り、クリスマスは遠い昔の出来事のように思われているようです。しかし教会の暦では、これからがクリスマスを覚えるときとなります。なぜなら、クリスマスの物語は、イエス・キリストが誕生したことで終わるのではなく、誕生した「あと」のことがむしろ記されているからです。

 この一年間、それぞれの歩みには楽しいことや嬉しいこともたくさんあったことでしょう。でも、辛いことや恐ろしいことも世界中で起こりました。聖書はそのような出来事を「暗闇」という言葉で表現しています。いつの時代もそのような「暗闇」という言葉でしか表現できないようなことが起こるのです。

 でも大切なことは、そのような「暗闇」にだけに目を向けることではありません。不安や恐れを感じることだけでもありません。むしろ、その暗闇の中で輝く光があることに目を向けるのです。
 この光とは神の子イエス・キリストのことです。イエス・キリストという光こそが暗闇に勝利していることを、これからのあとのイエス・キリストのご生涯から学び、確認してゆくのです。その意味でクリスマスはお仕舞ではなく、始まりなのです。

 年の瀬となりました。新しい年の皆様の歩みの上に、神様の祝福をお祈りいたします。そしてイエス・キリストという光を求めて、ご一緒に新しい歩みを始めるものでありたいと思います。

 2016.12.27
 日本福音ルーテル教会
 総会議長 立山忠浩
  

2016年12月2日金曜日

クリスマスへの備えのとき

 

 12月に入り、今年もあと1ヶ月足らずとなって来ました。年の瀬を迎え、何かと慌ただしい時節です。

 教会の暦はひと足早く新しい暦へと変わり、アドベント(待降節)という教会暦に入りました。それぞれの教会にはアドベントリース(クランツ)が置かれ、そこには赤いロウソクが立てられていることでしょう。これから日曜日を迎えるごとにそのロウソクに灯をともし、週を重ねるごとにロウソクの灯が増え、12月25日のクリスマスには4本の灯が輝くことになります。

 クリスマスの準備をゆっくりと、大切な時として過ごすのです。そしてクリスマスの喜びの日を迎えるのです。聖書に記されたクリスマスの意味を思い巡らし、なぜイエス・キリストは家畜小屋の飼い葉桶の中に寝かされたのかなど、その意味を考えるのです。そのためにも、少しだけ立ち止まり、慌ただしい日々の時の流れから逃れた時間が必要です。

 ぜひこのアドベントとき、教会の礼拝や諸集会にお出かけください。心を静め、ご一緒にクリスマスを迎える準備をして行きませんか。喜びに満ちたクリスマスをご一緒に迎えられれば幸いです。

 2016年12月
 日本福音ルーテル教会 総会議長 立山忠浩

2016年11月4日金曜日

11月の教会の暦、あれこれ

 


 11月に入り、そろそろ冬支度となって来ました。教会は宗教改革記念日を終え、また新しい歩みを続けています。

 6日には全聖徒主日を迎え、天に召された方々を記念します。この世の生涯を終えようとも、私たちと共にイエス・キリストという木の枝につながれている幸いを覚えるのです。

 13日は多くの教会、幼稚園・保育園で、子どもたちの祝福式が行われることでしょう。6日の全聖徒主日は全世界のキリスト教の伝統や暦に従ったものですが、この時期に子ども祝福式を行うのは日本の伝統行事の七五三に因んだものです。主イエスが子どもたちをこよなく愛し、大切にされたことを日本の教会はこの時期に覚えているのです。
 
 20日は教会の暦では大晦日になり、1年間の終わりを迎えます。教会によっては「すす払い」ならぬ、大掃除を行う教会もあることでしょう。

 そして27日は新しい暦となり、クリスマスを迎えるための準備の期間(アドベント)に入ります。街並みなど周囲ではもう11月からクリスマスツリーを見かけますが、教会はこの日からツリーの灯をともし始め、リースの飾りもお目見えするのです。

 どうぞお近くの教会の礼拝にご遠慮なくご参加ください。いずれの集会、行事にも心より歓迎されることでしょう。

 2016年11月
 日本福音ルーテル教会
 総会議長 立山忠浩
 

2016年10月22日土曜日

宗教改革をご一緒に



 秋も深まって来ました。この季節、特に私たちルーテル教会(ルター派)にとって大切なことが、宗教改革を覚えることです。1517年10月31日、マルティン・ルターによって始まったのが宗教改革でした。

 ただ、日本に暮らす私たちにとっては、「宗教改革が何なのかよく分からない」、「遠いドイツの国で起こったことだから、自分とどんな関係があるのか興味もない」というのが偽らざる思いでしょう。

 「宗教改革」は英語では「リフォメイション」と言いますが、もう少し正確に言うと「リ・フォメイション」です。「リ」とは「再び」とか「新たに」という意味がありますから、フォメイション(構成、枠組み)をもう一度新たにするということになるのです。むしろ「リフォーム」の方が、私たちにはなじみがあるのかも知れません。家をリフォームする。洋服をリフォームする。元もとのものを残しながら、もう一度新しくするのです。きっと人生も同じなのです。

 自分の人生は、自分が今歩んでいる道はこれでいいのか。負の連鎖の人生を変えることはできないのか。だれもが心の中で考えることのある問いです。ルターの問いも同じだったのです。問うだけでなく、自分の人生を「リ・フォメイション」する道を探したのです。そして聖書に、イエス・キリストの教えにたどり着いたのです。
 
 人生のリフォメイション。やや大げさに聞こえるかも知れませんが、自分の人生を見つめ直し、本当の幸いを問うことはとても意義深いことだと思います。

 来年はいよいよ宗教改革500年を迎えます。自分にとってのリフォメイション。今年の宗教改革をご一緒に体験し、宗教改革の500年をみんなで祝う準備ができればと願っています。 
 
 どうぞ教会の礼拝にお越しください。心より歓迎されることでしょう。 

日本福音ルーテル教会
総会議長 立山忠浩
 

2016年9月14日水曜日

日常の人の声からしばし離れて



季節は秋へと向かっています。私の暮らす都南教会の住まいでも、コオロギの奏でる音が大きくなっているように感じます。この虫の音、人によって感じ方は違うようです。

日本人は他国の人たちに比べて、虫の音に感性を働かせる傾向が強いと聞いたことがありますが、でも日本に暮らす人によってもきっと異なることでしょう。耳に響く自然界の音色はそれぞれであり、それで良いのです。

私たちの耳や目、あるいは心に届くものには、自然界の営みから聞こえて来る音の他に「声」があります。人の声、そして神の声がある。でも私たちがいつも聞いているのは人の声であり、私たちの日常に溢れているのは人が作り出した声ばかりです。おびただしい人の声の中で、かき消されてしまっている声、それが「神の声」ではないかと思います。

この「神の声」は聖書を通して、イエス・キリストの教えを通して語られているのです。これは、それぞれの好みで雑音のように聞いてはいけない大切な声なのです。しばし日常の喧騒から離れ、周囲のおびただしい情報の声のボリュームを絞り、この声に耳を傾けようとするならば、きっとあなたのからだを響かせる恵みの声が聞こえて来るに違いありません。

慌ただしい生活から少しばかり離れ、お近くの教会をぜひお訪ねください。「神の声」に耳を傾け、神に賛美と祈りを献げる群れに出会うことでしょう。

2016.9
日本福音ルーテル教会
総会議長
立山忠浩

2016年7月21日木曜日

み言葉を蓄える季節



暑い夏が到来しました。

近年は「暑い」という言葉では十分に表現できないためか、「猛暑」という言葉が使われるようになりました。
いささか迷惑な季節のような感じがありますが、かといって「冷夏」となれば、それはそれで野菜や果物などの生育に悪い影響をもたらすようで、これも喜んでばかりではいられないようです。

極端な暑さは困りますが、自然界の営みから見れば、暑い夏がやはり必要なのでしょう。この日差しの強い時期に太陽の光をたっぷりと浴びて、秋の実の季節を迎えるための備えをしているからです。暑い夏なくして、収穫の秋はないのです。

それは私たちにとっても同じなのです。
教会では「み言葉を蓄える」という言い方をすることがあります。
聖書の言葉、イエス・キリストのみ教えをたっぷりと浴びて、それを自分自身の中で思い巡らし、反すうすることで「み言葉を蓄える」のです。
その蓄えたものがいつしか喜びとなり、生きるべき道を照らし、その道を歩む力となるのです。

お近くの教会をぜひお訪ねください。
「み言葉を蓄える」者たちの群れに、あなたが加えられることを願い、そして歓待してくれることでしょう。

2016.7
日本福音ルーテル教会
総会議長
立山忠浩

2016年5月15日日曜日

言葉の回復


 教会は聖霊降臨日・ペンテコステを迎えました。聖なる霊が使徒たちに注がれ、これを契機にして使徒たちが教会を築いたのです。聖霊降臨日が教会の誕生日と言われる所以です。

 この日に起こったことはそれだけではなかったのです。「言葉の回復」がそれでした。
旧約聖書の「バベルの塔」の物語には、当時の人々が言葉を乱用したために神の怒りを買ったことが書かれていますが、聖霊降臨日には言葉が本来のものに回復したのです。

 私たちの日々の生活を振り返るときに、言葉や情報というものを、ただ自分の生活や仕事、趣味や楽しみのためだけに使っていることに気づくのです。でも、それだけでは空しいのです。いつしか潤いを失い、ぎすぎすしたものになり、人を傷つけ、自分も傷を負うことに終わりかねないのです。

 言葉の回復。
 それは、言葉が本来神と共に、神のもとにあることを忘れないことです。「初めに言葉あった。言葉は神と共にあった」(ヨハネ1:1)とあるように、神の言葉を何にもまして大切にすることが言葉の回復につながるに違いありません。

 日曜日は一週間の始まりの日です。
 いや、一週間のいつの日でも良いのです。自分にとっての始まりの日に、神の言葉に出会う時を持ちたいものです。

 お近くの教会をぜひお訪ねください。きっと心から歓待されることでしょう。

2016.5.15 
日本福音ルーテル教会 
総会議長 立山忠浩