2017年8月2日水曜日

日本の8月を覚えて


 暑い時を過ごしていますが、夏至はとうに過ぎ、暦は確実に秋に向かっています。あまりの暑さが続くと、太陽の輝きをうらめしくも感じることがありますが、しかし自然界の生き物、植物にとっては、夏の太陽の輝きがあってこそ成長があることは言うまでもありません。

 旧約聖書(ヨナ書)にこういう話があります。暑い陽射しを避けて木陰で涼んでいた男が、その木(とうごまの木)が突然枯れてしまったことで脱水症状のようになってしまい、木が枯れてしまったことを大変惜しみ、このできごとを大変怒ってしまうのです。ところがその男は、ある町に暮らしている人たちが滅んでしまうことは惜しむことがなかったというのです。

 8月を迎え、陽射しの強いこの真夏の時期に覚えることは、過去の戦争や原子爆弾のことです。多くの人の命が滅ぼされてしまったのです。そして今もなお、この暑さの中で生きることが脅かされている人たちがたくさんいることを覚えるのです。

 いつの時代もひとりの命の価値には格差があり、多くの人に惜しまれる死とそうでない滅びがあるように思います。しかし神様はそうではないのです。どんな人の滅びも神様は悲しみ、それを何とかして避けようとして、ある人々を遣わされようとされるのです。

 暑い夏、暑い陽射しの下で、一人ひとりが平和の使者としての働きが期待されているのです。過去の歴史を振り返ること、戦争の悲惨さを忘れないこと、平和のために祈りを献げ、平和を作り出すために自分にできることを探し、少しでも実行すること。どんな小さなことであっても、神様のみ心に従う者でありたいと思うのです。
 
 2017年8月
 日本福音ルーテル教会
 総会議長 立山忠浩