2017年12月25日月曜日

クリスマス、おめでとうございます!

  

 神の子イエス・キリストの誕生日、クリスマスを迎えました。まことに喜ばしく、恵み深いことです。

 聖書には、イエスという名前はインマスエル、すなわち「神は我々と共にいます」という意味だと記されています。「私」だけでなく、「我々」というわけですから、まさにみんなと共に、年齢や性別、国や民族という隔てを超えて、すべての人と共に神様がいてくださるという知らせです。

 ある人は、「それはキリスト教の神様であって、キリスト教徒の皆さんだけにその神様はいるんでしょう。私には関係ないことですから」と言うかも知れません。
 しかしそうではないのです。どんな人も空気を吸い込み、息をしながら生きているのと同じように、すべての人が、神様が与えてくださる「命の息」をいただきながら生きていると聖書は教えているのです。

 神の子イエス・キリストは、この「命の息」(つまり聖なる霊)によって生きる姿をこの世に表してくださったのです。この方の生き方は「人としての生き方」、つまり私たちが歩むべき「人生」を指し示しているのです。なんと恵み深いことでしょう。

 クリスマスの喜びが皆さまの上に豊かに注がれますように、そして、新しい年の上にも、神様のお恵みが限りなくありますようにお祈りいたします。

 2017.12
 日本福音ルーテル教会
 総会議長 立山忠浩
 

2017年12月4日月曜日

アドベント、足を止める時



教会の暦はアドベント(待降節)に入りました。教会にはアドベントリース(クランツ)が飾られ、4本のろうそくが立てられていることでしょう。1週間ごとに1本ずつ火を灯して行くことになります。そして4週目にクリスマスを迎えることになるのです。

 教会学校のある生徒が、「いっぺんにろうそくに火がついて、クリスマスが来ればいいのに」と言いました。クリスマスプレゼントをもらえる日が待ち遠しいのでしょう。微笑ましい言葉でしたが、アドベントという言葉は「だんだんと、少しずつ近づく」という意味を持っています。クリスマスまで時間をかけるのです。

 ただ、アドベントの期間を漫然と待つのではありません。クリスマスのことを聖書がどのように記しているのかを学び、そのことを思い巡らすのです。
 聖書を読んだことのない人にとっては、良い機会です。本当のクリスマスとはどんな出来事であったのかを知る機会となることでしょう。
 教会のクリスマスを幾度も体験している人にとっても、クリスマスの話をもう一度じっくりと読むことは意義深いことです。
 聖書は読むたびごとに、新しい気づきや発見をするものだからです。そのような恵み深い体験は、聖書のクリスマスの物語にしばし足を止め、時間をかけて思い巡らすことなしは起こらないのです。

 教会の礼拝はそのようなことのために開かれています。どうぞお越しください。相応しいアドベントを送り、恵みに満ちたクリスマスを皆さんとご一緒にお迎えできることを願っています。

2017.12
日本福音ルーテル教会総会議長
立山忠浩

2017年9月5日火曜日

いよいよ宗教改革500年の季節

Martin Luther © Daniel W. Erlander (www.danielerlander.com)


 季節はすでに秋に向かい始めています。北の国からの紅葉の便りも届くようになりました。

 私たちの日本福音ルーテル教会は、これから本格的に宗教改革500年を記念する季節に入ることになります。礼拝や諸行事が目白押しです。
 それぞれの教区ごとに開催される礼拝、他のルーテル教会や諸学校との共催による行事、そして全体教会とカトリック教会の共同で行われる記念の礼拝などです。それぞれの企画にご参加くだされば幸いです。

 500年に一度のこと。きっとこの時に遭遇した大きな意味を、500年事業が過ぎた後に実感するに違いありません。そのためにも、その歴史的なときに開催される諸行事に参加し、そこに立ち会い、そこ身を置くことが大切だと思います。讃美と祈りが満ち、宗教改革者たちが発見した聖書の福音に共に耳を傾ける機会を味わうのです。そして隣人たちに福音を伝える喜びを体験したいのです。

 「ルーテル」という名のもとにつながっている各教会、学校と施設、幼稚園・保育園でも、それぞれに500年を覚えた礼拝と行事が催されることでしょう。

 どうなたでもすべてのところに招かれています。
どうぞお出かけください。ご一緒に神様の祝福に与ってまいりましょう。

2017年9月
日本福音ルーテル教会
総会議長 立山忠浩

2017年8月2日水曜日

日本の8月を覚えて


 暑い時を過ごしていますが、夏至はとうに過ぎ、暦は確実に秋に向かっています。あまりの暑さが続くと、太陽の輝きをうらめしくも感じることがありますが、しかし自然界の生き物、植物にとっては、夏の太陽の輝きがあってこそ成長があることは言うまでもありません。

 旧約聖書(ヨナ書)にこういう話があります。暑い陽射しを避けて木陰で涼んでいた男が、その木(とうごまの木)が突然枯れてしまったことで脱水症状のようになってしまい、木が枯れてしまったことを大変惜しみ、このできごとを大変怒ってしまうのです。ところがその男は、ある町に暮らしている人たちが滅んでしまうことは惜しむことがなかったというのです。

 8月を迎え、陽射しの強いこの真夏の時期に覚えることは、過去の戦争や原子爆弾のことです。多くの人の命が滅ぼされてしまったのです。そして今もなお、この暑さの中で生きることが脅かされている人たちがたくさんいることを覚えるのです。

 いつの時代もひとりの命の価値には格差があり、多くの人に惜しまれる死とそうでない滅びがあるように思います。しかし神様はそうではないのです。どんな人の滅びも神様は悲しみ、それを何とかして避けようとして、ある人々を遣わされようとされるのです。

 暑い夏、暑い陽射しの下で、一人ひとりが平和の使者としての働きが期待されているのです。過去の歴史を振り返ること、戦争の悲惨さを忘れないこと、平和のために祈りを献げ、平和を作り出すために自分にできることを探し、少しでも実行すること。どんな小さなことであっても、神様のみ心に従う者でありたいと思うのです。
 
 2017年8月
 日本福音ルーテル教会
 総会議長 立山忠浩
 

2017年6月4日日曜日

聖霊がみ言葉を通して

 
聖霊降臨日を経て、教会は新しい暦に入りました。
 聖霊が弟子たちに降りて来て、そこから教会の宣教が始まったのです。このことをいつも覚える時となりました。

 聖霊は見えないものですが、しかしなくてはならないものです。「空気」とも訳される言葉ですが、空気なしには人はひと時も生きることが出来ないのと同じです。空気は見えないものですから、私たちは特別に意識することなく暮らしているに過ぎないのです。

 聖霊も同じです。
その聖霊は、神様のみ言葉を通して語られて来るとマルティン・ルターは教えました。聖書の言葉を通して、そして礼拝ごとに語られる聖書の解き明かし、つまり説教を通して聖霊が私たちに注がれるのです。

 新鮮な空気が私たちを生かし、疲れを癒し、新たな力を与えてくれるのと同じように、実は私たちのだれもが、聖霊の働きを通して新たに生かされる存在であることをイエス・キリストは教えてくださったのです。その聖霊はみ言葉を伴うのです。
 
 どうぞ近くの教会をお訪ねください。礼拝で語られるみ言葉に共に与りましょう。

2017.6
日本福音ルーテル教会
総会議長 立山忠浩

2017年4月17日月曜日

新しい生き方へ



イエス・キリストの十字架を覚えるときから、死からの甦りを覚える暦に変わりました。イースター(復活祭)を迎えたのです。季節も春となり、新しい命の息吹を感じるときですが、教会も新しい命へと主イエスが復活されたことを覚えるのです。

 日本の国では、クリスマスをお祝いする習慣はあっても、イースターはほとんど話題になることはありませんでしたが、しかし最近はイースターチョコなど、店頭にイースターに因んだ商品がたくさん並べられるようになりました。喜ばしいことだと思います。

 でも、大事なことはその祝うことの中味です。
 イースターとは主イエス・キリストの復活を祝うのです。死んだ人が甦るなんて、そんな馬鹿なことがあろうかといぶかしがる人が多いことでしょう。確かにあり得ないことです。でも聖書を通して知ることがあります。十字架を前にして怖くなって、イエスから逃げ去った弟子たちが、復活を境にして生き方が大きく変わり、死を怖れず、生涯イエスを伝える者になったことです。あり得ないことが起こったのです。

 復活には、きっと人の生き方を変える力があるのです。復活を信ずる者は、それはほんの少しであったとしても、これまでの自分の生き方から、新しい自分の生き方へと変えられるのです。

 教会では、復活を祝うときがしばらく続きます。
 どうぞ近くの教会へお越しください。

 2017.4
 日本福音ルーテル教会
 総会議長 立山忠浩

2017年3月1日水曜日

40日という日々を大切に



教会の暦は3月1日から四旬節に入りました。4月16日のイースター(復活祭)まで、日曜日を除く40日間をイエス・キリストの十字架を偲ぶときを過ごします。
 
「なぜ40日間も」と疑問が湧くことでしょうでしょう。それは聖書のできごとに由来するのです。旧約聖書のモーセが神様から十戒をいただいたとき、彼は40日もの間一人で山にいたのです。イエス・キリストが悪魔の誘惑にさらされ、試練を体験されたのも40日間でした。
 
この二つのできごとに共通していることは、一人で40日間を過ごしたということです。これほど孤独なことはなかったことでしょう。でもその孤独の中で、モーセもイエス・キリストも、いつも傍らにいてくださる主なる神様の存在を実感したのです。
 
ご一緒に十字架を偲ぶ40日間を過ごしましょう。
日々の生活を振り返り、様々な過ちや失敗したことがあれば神様に赦しを請いましょう。
そして私たちの過ちはイエス様の十字架によって赦されることを感謝しましょう。

自分では負いきれないほどの重荷を一人で担っている人は、その重荷を傍らで一緒に担ってくださっている方がいることを覚えたいものです。

 
さらに言えば、教会では自分自身の重荷(十字架)のためだけでなく、隣人の重荷のためにも祈りが献げられていることを覚えていただければ幸いです。

2017.3.1
日本福音ルーテル教会総会議長
立山忠浩
 

2017年1月17日火曜日

神様の恵みと出会うために



 季節は真冬。一年で一番寒い時となりました。しかし日の入りが少しずつ遅くなり、日中の太陽の位置も高くなり始めているように感じられます。私の牧する教会の庭では水仙が咲き始めました。春の便りがもうしばらくすると南の方から聞こえて来ることでしょう。

 教会の暦は顕現節となりました。神の子イエス・キリストを通しての神様の恵み深い御計らいが、今の私たちにも様々な形を通して顕されていることを覚える時です。自然界の営みもそのひとつでしょう。しかしもっとも明瞭に、大胆に顕わされているのが聖書であると私たちは考えます。

 教会の礼拝や聖書を学ぶ会では、その聖書のことが語られています。どうぞ、お近くの教会の礼拝や諸集会にお出かけください。ご一緒に、神様の恵み深い御計らいに出会うことができれば幸いです。

 2017.16
 日本福音ルーテル教会
 総会議長 立山忠浩
 

2017年1月5日木曜日

明けまして おめでとうございます。

 
新年を迎えました。
また思いを新たにして、新しい歩みを始めたいものです。

今年は酉年。
鳥には、それぞれに様々なイメージがあることでしょう。
聖書にもしばしば鳥が出て来ます。
そのひとつが旧約聖書の「ノアの箱舟」です。

地上の悪が洪水によって洗われ、一面が水で覆われた後、ようやく水が引き始めたのですが、住める土地があることをノアに知らせたのが鳩でした。
箱舟から放たれた鳩は、戻って来た時にはオリーブの葉をくわえていたのです。洪水の後の静けさと取り戻された平和を伝える働きをその鳩はしたのです。

鳩は新約聖書では聖霊に譬えられることがあります。聖霊は「神の言葉」をもたらす働きをするのです。
その神の言葉、イエス・キリストの教えが、きっと今年も私たちを慰め、励まし、希望を与え、そして本当の平和をもたらしてくれるに違いありません。
 
今年はいよいよ宗教改革500年の年です。
ルターを中心とした宗教改革者たちの思いは、いつもこの「神の言葉」、つまり聖書の言葉に向けられていたのです。
ご一緒に、この記念の年を力強く歩みたいものです。
どうぞ、お近くの教会の礼拝や諸集会にお出かけください。

最後になりましたが、皆さまの新しい一年の歩みの上に、神様のお守りとお導きをお祈りいたします。

日本福音ルーテル教会
総会議長 立山忠浩
2017.1