2018年4月2日月曜日

新しい生命の誕生を覚える時

  
                    撮影/Kazue Taniguchi

 例年にまして早い春の到来を感じる時となりました。桜の花びらが役目を終えて散り終えた後に、まるで新しい生命が誕生するかのように新緑の葉が頭をもたげています。自然界の生命の躍動を感じる時、教会の暦はイースターを迎えました。イエス・キリストの死からのよみがえりを祝い、覚える時です。

 キリストの復活は2000年ほど前に起こったできごとですが、大切なことは、その復活の知らせが、自分とどんな関係があるのかということです。しかも自分が死んだ後に天国に行ってよみがえるということではなく、今の日々の生活とどんな関係があるのかということです。つまり、私たちの今の生き方に対して、聖書は問いかけるのです。

 自分の生き方を問い、幸いな生き方を見つけるのです。なかなか自分一人でできることではありません。「わたしは道であり、真理であり、命である」とイエスは言われました。真理と命に至る道を見つけ、その道を歩むために、教会の礼拝、またキリスト者との語らいはきっと大きな助けになることでしょう。

 お近くの教会の礼拝へどうぞお越しください。

 2018年4月
 日本福音ルーテル教会
 総会議長 立山忠浩

2018年2月16日金曜日

十字架、それは過去のことではなく



 教会の暦は2月14日(灰の水曜日)から四旬節に入りました。イエス・キリストの尊い十字架のできごとを覚える大切な40日間を過ごします。

 イエスの十字架は2000年前に起こった出来事ですから、過去のことと言えないことはありません。しかし十字架という出来事はいつの時代にも、どんな人にも起こっていると言わなければなりません。なぜなら、十字架とは重荷や苦難という意味も持っているからです。

 だれでも、他の人とは異なる自分自身の十字架というものを背負っているはずです。この世に生きている限り、放り出すことのできないものです。その自分だけの十字架を見つめることは辛さを伴うものですが、しかしもっと私たちが見つめなければならない十字架があるのです。それは、私たちのそれぞれの十字架を一緒に背負ってくださっているイエス・キリストの存在です。まるで2000年前のできごとのように、いまも私たちひとり一人の十字架を一緒に担ってくださっているのです。

 この十字架を見出す人には、限りない慰めと励ましが与えられるに違いありません。いやそれだけでなく、希望と喜びがもたらされるのです。なぜなら、十字架をしのぶ四旬節の後には、イエス・キリストの復活、すなわち絶望や悲しみに対する勝利が訪れるからです。

 それぞれの教会の礼拝へどうぞお越しください。

2018.2 
日本福音ルーテル教会
総会議長 立山忠浩

2018年1月6日土曜日

新しい思いに満たされるために

 


 新年を迎えました。新しい思いに満たされる時です。
 
 聖書に「古い人を脱ぎ捨て、新しい人を身に着ける」(エフェソの信徒への手紙4章22節以下)という言葉があります。「新しい人を身に着ける」とは不可解な言い回しですが、新しい思いにされることです。新年に相応しい言葉です。

 ただ、新しい思いに満たされるためには「古い人を脱ぎ捨て」なければなりません。新鮮な息を吸い込むためには、まず肺の息を吐き出すはずです。古い息を吐き出すことで、新しい空気を吸い込むことができるのと同じです。

 では「古い人」とはどんな人のことでしょうか。どうしても過ちや失敗をしてしまう人、あるいは悲しみや弱さ、傷を背負って来た人のことです。それはすべての人のことだと言わなければなりません。どんな人も昨年までの歩みの中で、それらの何らかのものを身に着けて過ごしたはずです。それを吐き出すのです。それを脱ぎ捨てるのです。その古いものはきっと主イエス・キリストが引き取り、すべてご自身が背負ってくださるのです。そして代わりに、生命を育む新しい息を与えてくださることでしょう。
 
 古いもの脱ぎ捨て、新しいものを着る。古い息を吐き出し、新鮮な思いに満たされる、そのような新しい一年でありますよう、お祈りいたします。

2018年1月
日本福音ルーテル教会
総会議長 立山忠浩

2017年12月25日月曜日

クリスマス、おめでとうございます!

  

 神の子イエス・キリストの誕生日、クリスマスを迎えました。まことに喜ばしく、恵み深いことです。

 聖書には、イエスという名前はインマスエル、すなわち「神は我々と共にいます」という意味だと記されています。「私」だけでなく、「我々」というわけですから、まさにみんなと共に、年齢や性別、国や民族という隔てを超えて、すべての人と共に神様がいてくださるという知らせです。

 ある人は、「それはキリスト教の神様であって、キリスト教徒の皆さんだけにその神様はいるんでしょう。私には関係ないことですから」と言うかも知れません。
 しかしそうではないのです。どんな人も空気を吸い込み、息をしながら生きているのと同じように、すべての人が、神様が与えてくださる「命の息」をいただきながら生きていると聖書は教えているのです。

 神の子イエス・キリストは、この「命の息」(つまり聖なる霊)によって生きる姿をこの世に表してくださったのです。この方の生き方は「人としての生き方」、つまり私たちが歩むべき「人生」を指し示しているのです。なんと恵み深いことでしょう。

 クリスマスの喜びが皆さまの上に豊かに注がれますように、そして、新しい年の上にも、神様のお恵みが限りなくありますようにお祈りいたします。

 2017.12
 日本福音ルーテル教会
 総会議長 立山忠浩